皆様、こんにちは。臨床心理士・公認心理師の城谷仁美です。

みなさんは「時間って何?」って考えたことはありませんか?
私は子どもの頃から時間の不思議さに魅了されていました。

今回は私自身が大人になって日に日に早く感じる時間の中で、子育てをしているときに感じた「時間」について書いてみました。

1.色々な時間

砂時計

時間って考えてみると不思議なものだと感じます。

例えば友達とランチをしたり、映画を見ているような楽しい時間はあっという間に過ぎるけれど、退屈なことをしている時は何度も何度も時計を見てもあまり進んでいない経験をされた方は少なくないと思います。私たちは時計という視覚的な手がかりがなければ、時間を正確に掴むことさえ難しいものです。

我々のクリニックに併設されている相談室で流れる時間も、また、全く日常のそれとは違うように感じます。

そこでは患者さんの日常で困っていることを入り口に、自分が子どもだった時の話やこれからどうなっていくのだろうというような未来の話、そして箱庭療法*1)や夢の話といった自分の意識の外側からやってくるイメージの本質的で濃密な時間や空間が開けていきます。

約6畳ほどの部屋でセラピストと過ごす、たった60分という限られた時間と空間ですが、逆に閉じているからこそ自由に行き来する時空間が同時に展開していくのではないかと思います。

2.子どもの「縦の時間」と大人の「横の時間」

砂場で遊ぶ子供

砂場で遊んでいる子どもたちを見ていると、周囲の目や先のことなどはお構いなく、今この瞬間に砂を掘ったり、山を作ったりすることに没頭していて、それはまるで自分だけの“縦に深い時間”を生きているかのようです。いくら「帰ろう」と耳元で叫んでも全く聞こえません。

一方親の私たちは「5時までに帰って、ご飯を食べさせてお風呂に入れて、9時に寝かせなきゃ」といつもどこからか逆算して、慌ただしく「横軸に流れていく時間」を生きているような気がします。

3.縦の時間と「創造性」

この子どもたちの「縦の時間」は遊びだけではなく、例えば物語や童話の中にも出てきます。

不思議の国のアリスの時間

「不思議の国のアリス」の冒頭では、アリスがウトウトした時に目の前に現れたウサギに誘われるように追いかけて穴の中に入り、どんどん下降して不思議の国に入っていきますし、井戸や階段といった垂直軸に主人公が下降していくことで、まるで夢の中に入っていくように“異次元”が物語の中で展開して深まっていくことも多いのではないでしょうか?

このように物語と共通するような“縦の時間”は子どもたちの「遊び」の世界にも流れていて、いわば夢や創造性とも繋がっていくような深い時間のように思います。

彼らは私たちと同じ時計が刻む24時間を過ごしているのですが、実は子どもたちはこの異次元の縦に流れる時間の世界から、こちら側に出たり入ったりしているように感じるのです。

いつの間にか大人になっていくに従って横のデジタル時間に追われるようになっていくのでしょうが、相談室ではこの縦の深い時間をゆっくりと守っていきたいと思っています。

4.「横の時間」の窮屈さと不安~パニック発作~

電車の吊革

近年、電車などの乗り物に乗ると心臓の動悸が激しくなったり、過呼吸が出て気分が悪くなったりするいわゆるパニック発作に悩む人も少なくありません。勿論何か一つの原因だけではありませんが、印象としてとても真面目な人が多いように思います。

我々は「しなければならない」と思っていることに追われると今を愉しむことから遠ざかってしまいます。

患者さんの夢を伺ってみるとしばしば夢でも誰かに追いかけられたり、間に合わない夢などが多く話されます。

適応するため、或いは失敗しないためには、先を見通そうとすることは確かに大切なことですが、あまり先のことばかり考えていると「~なったらどうしよう」という「最悪の事態」を常に想定していくことになり、それがさらに不安を増幅させてしまいます。

自分が今本当にやりたいことではなく「~しなければならない」ことで、ほぼ今の時間が消費されてしまい、子どもたちのように深く、今この瞬間を生きられなくなってしまいます。それはまるで、お給料の大半を生命保険料の支払いにあててしまい、すぐに使えるお金が少なくて苦しい状況と同じなのです。

5.終わりのない「横の時間」と「根源的な源」

奪われていく横の時間

コロナの影響もあり、我々も多くの会議がオンラインになっていますが、それではその移動時間の分、自由時間が増えたかというと、もっと違う仕事や会議が増えたりして結果的に以前よりも仕事量が増えてしまっている人も多いのではないでしょうか?

現代は、うっかりしていると、まるで自分の時間が知らず知らずの間に誰かに奪われてしまったり、あるいは「~しなければならない」と自分が思い込んでいるものに消費されたりしていきます。
それは決して満足することはないのかもしれません。

臨床心理学者の河合俊雄氏はミヒャエル・エンデの「モモ」を紹介し、「時間」について興味深い指摘をしています。*2)*3)

「モモ」は児童文学ではありますが、むしろ大人が読むとハッとしたり、成る程と思うところがたくさんあります。

円形劇場

モモは、親もわからず円形劇場の廃墟に住み着いた独りぼっちの少女です。身なりに構わず数字の概念もわからない抽象的な世界に住む少女ですが、唯一できることは人の話を聞くことだったのです。

街の人はみんな、モモに話を聞いてもらっていたので彼女は街の人にとってなくてはならない存在でした。しかし街の人たちは時間泥棒である「灰色の男たち」に説得されて、彼らの言う無駄な時間(年老いたお母さんとのおしゃべりやペットとの時間など)を節約し、その時間を時間貯蓄銀行に預けるのですが、実は「灰色の男たち」に全部取られていたのです。

街の人たちは、少々身なりは良くなっても節約した時間は手元に残らず、逆に1日1日は確実に短くなっていき、次第に余裕を無くして怒りっぽくなっていきます。

一方、対立的な時間を過ごしているのが、道路掃除夫「ベッポ」です。
ベッポはとても長い道路掃除を割り当てられた時、一度に道路全部のことを考えてはダメで、次の一掃きのことだけを考えるんだ、そうやっていつもただ次のことだけを考えていると楽しくなってくる、楽しければ仕事がはかどる、これが大事なんだと話します。

 

河合氏は、このベッポの「ただ次のことだけに没頭する」瞬間瞬間の時間を、社会学者の真木悠介氏の言うところの「現時充足的な時(コンサマトリー)」を挙げ、我々の日常である横の時間以前の「古代的な時間感覚」であると言います。

つまりこの瞬間瞬間、我々の豊かさの源泉である「時間の源」に繋がっていて、それは一瞬であって同時に無限である時間なのです。

6.「縦の時間」と子育ての孤立感と閉塞感、そして根っこに繋がる「横の時間」

縦の時間が横の時間になる 横たわった砂時計

「灰色の男たち」が無駄だと節約を迫った時間とは実はとても心を豊かにしてくれるものだったとわかります。子どもの頃には当たり前に流れていたこの豊かな時間はいつの間にか、「横の時間」に置き換わっていくのではないでしょうか?

現代では、多くの女性も社会の中で生活して、経済活動に求められるような生産性、効率性のベクトルに身を置いています。

一方では、月の満ち欠けに誘われるような妊娠出産という身体性に根ざした生命のリズムや、お子さんの「縦の時間」を共にするという、この両極間の非常に大きな乖離を行き来することを余儀なくされており、女性たちは戸惑っているのではないでしょうか?

私自身も子どもと過ごす時間に、ふと、勤めていたときの癖で「今日1日私は何ができたんだろう?」と考えると、毎日同じことの繰り返しで早く過ぎ去っていく、世間から隔絶され、まるで止まってしまった時間の中に取り残されているような孤独さと焦燥感を抱いていました。

でもそんな気持ちは、「今の道が自分が望んだ道なのに、、」と思うと誰にも言えません。

また目の前の子どもたちにそんな気持ちを抱いてしまうことが申し訳ないという罪悪感、このぶつける相手のない、行き場のない気持ちが湧き出てくる時は、泣き止まない子どもと一緒に泣きたくなっていました。

来る日も来る日も、懲りずに、保育園からの帰り道、私は大人の時間通りに子どもたちを動かすために「今日こそ寄り道せずにさっさと歩いてくれないかな」と願います。

しかし、その期待とは裏腹に、大人一人で行けば5分とかからない距離を、子どもたちは道路のマンホールの模様に嬉々とし、落ち葉を踏んだカサカサいう音や真っ黒な土のフカフカを楽しみ、時には公園の噴水に飛び込んだり、どんぐりや葉っぱを拾い集めたりして1時間ほどかけて歩くのです。

子供の靴

不思議と10年以上経った今、ふとクリニックで小さな運動靴を見ると、その時一緒に落ち葉を踏んだ足の感触や土の匂い、そしてそれが入り混じったような柔らかい子どもの髪の匂いと小さなふっくらとした手、そして一緒に過ごした縦に流れていた豊かな時間が、私を包んでくれるのです。

この身体感覚を伴った、確かな根っこに繋がった時間は、気を許すと常に「もっともっと」を要求してくる「横の時間」が生み出す不安から、私を解放してくれるのです。

参考資料
*1)  「箱庭療法」 セラピストが見守る中、クライエントが自発的に、砂の入った箱の中にミニチュア玩具を置き、また砂自体を使って、自由に何かを表現したり、遊ぶことを通して行う心理療法。(日本臨床心理士会HPより)
*2) 「モモ」ミヒャエル・エンデ 大島かおり訳 岩波少年文庫 2005
*3) 「100分de名著 Momo ミヒャエル・エンデ」河合俊雄 NHK出版 2020

この記事の執筆は 臨床心理士、公認心理師 城谷 仁美先生

【臨床心理士、公認心理師】城谷 仁美
臨床心理士、公認心理師

城谷 仁美

日本航空国際線客室乗務員を経て、大学院にて国際関係学、心理学を修め、2005年臨床心理士資 格取得。

大学院時代よりがん患者会や子育て支援に携わり、現在ルークス芦屋クリニックや公的機関にて主に心身症、発達の遅れや脆弱性のある児童やその家族支援を行っている。2男1女の母。